東日本大震災の爪痕 宮城県

我が家の「未来」を連れて宮城県・東松島の中学校を訪れたことがきっかけで出来た

「捨て犬・未来 命のメッセージ 東日本大震災・犬たちが避難した学校」岩崎書店刊で取材した時の写真です。

甚大な被害にあった石巻市立大川小学校の校庭にあった壁画に書かれていた「未来を拓く」(校歌)が何ともやりきれない心境でした。岩手編でも書きましたが一人ひとりが決して忘れない、風化させないことが大切だと思います。

 

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『捨て犬・未来 命のメッセージ 東日本大震災・犬たちが避難した学校』  岩崎書店 刊

 本の中から一部抜粋しました。

 

 校長室の黒板にはうっすらと白い線が横に入り、その線の下の黒板の文字は波にかきけされている。

それは1メートル50センチほどの津波に襲われたことを意味していた。

「・・・ああ、こんなものまで、みんな残っていますよ・・・。私がこの学校にいた時に、この大川中は

「命を育む道徳教育」モデル校として指定されましてね。この成果が評価されて、大川中は佳作賞をもらったんです。これはその資料ですね」

 津波に襲われなかった高い本棚などの書物はそのままそっくり残っていた。そこには千葉先生が見おぼえのある書物が多々あった。

「悲しいですね・・・。」

 

3年生の教室だろうかー。

黒板一面に書かれた「卒業おめでとう」という文字が目に飛びこんできた。

あの日以来、この学校は時間が止まったままだった。

「津波で木も全部枯れたんですね・・・でも、一本だけ、柏だけが枯れていませんね・・・柏は・・・ふしぎですねえ・・・

柏はこの大川中の校木なんですよ。それだけが枯れずに残ってるんですから・・・」

《中略》

「では・・・大川小学校に行きますか・・・」未来を見て千葉先生が言った。

先生に案内され、私たちはそこから2キロほどはなれた大川小学校に向かった。

テレビのニュースで壊滅と報道され、多くの児童が亡くなった場所だからだろうか。

そこには大勢の人が訪れていた。

コンクリートだけを残した校舎以外何もない。

「今、中学校から車で走ってきたところにはみんなの家が建っていたんですよ。ここも、そこも家がいっぱいでした。」

 そこには、家の土台となる基礎さえも残ってはいなかった。あるのは土と砂利だけだ。

 それはどれほどの大津波がこの町を襲ったかを明確に物語っていた。

 形だけ残る校舎の前に、立派な献花台があった。

 千葉先生は、車の中から線香とライターを取り出し献花台に向かった。

 私と未来は先生の後に続いた。

 私は未来を抱いて、線香をおき、手を合わせた。未来はその間もじっと私のひざの上にいた。

千葉先生も手を合わせた。しかし、その時間は私とは比べ物にならないほど長い、長い時間だった。

「避難していた大川中の教え子が7人亡くなりました・・・。そのひとり、ひとりに話しかけていたんです・・・。

今でも顔がうかびますよ・・・」

 

「はじめてなんですよ・・・。この大川に来るのは・・・あの震災以来、一年以上たって今日がはじめてです・・・」

 千葉校長先生のその言葉をきいた時、先生の中の悲しみや苦しみがどれほどおおきいのかを私ははじめて知った。

「もっと・・・早く来るべきだったのでしょうが・・・来れませんでした・・・」

 先生の目にも涙が浮かんでいた。

 

 すると未来がすでにコンクリートの外壁以外何もなくなっている校舎に向かって、トッコ、トッコ歩きだした。

「未来! そっちは行けないよ!」

私は思わず大きな声を出した。

「未来には・・・見えるのかもしれませんねぇ・・・」

訳がわからず、千葉先生を見た。

「未来には・・・見えるんですよ・・・あの校舎の中にいる、元気な子どもたちの姿が・・・」

未来は立ち止まり、おすわりをして「キューン」と小さく鳴いた。

「動物はこんなに純粋な生き物ですから・・・だから私は、生徒たちに未来のような子の話をきかせたいと思うのです。

限りなく透明な命を接することで、私たち人間は、やさしくなれるはずです。そして、本当の強さとは・・・」

「・・・本当の強さとは、やさしさから生まれる・・・」

私は先生の言葉をさえぎって、献花台に目を向けたまま答えた。

千葉先生がそっと笑ってうなずいた。大川に来てはじめて見せた笑顔だった。

 

 

                            (文:今西 乃子 命のメッセージより)